高校から宿題が出された。
【親のたどった進路】について調べる➖が宿題だった。 父からすぐに手紙がきた。
『...中学の頃は、家業を継ぐ気はまるで無く、 カナダかアラスカに移住して木こりをし、 世捨て人のように暮らすことに憧れていた。
親戚の国会議員から養子の話があったが、胃と肝臓と神経が丈夫でないと出来ない、山師の様な職業(?)の後継者はイヤだから、やめた。
...高校の頃は、ヒッピーの様に世界を放浪し、 サハラ砂漠あたりで死にたいと、夢想。
3年の時、職業適正診断で公務員に向いていると言われ、がっかりした。 米国の大学への留学を希望していたが、資金援助者に 卒業後は指定の会社で働くよう求められ、断念。 日本で暮らすことにした。
...大学時代は、生活費稼ぎのアルバイトに明け暮れ、 引越し作業員、デパートや工事現場の警備員、トラック助手、塾の先生、百科事典のセールスマン、マーケットリサーチの調査員などを経験。
何をしても一応生きていける事は、分かった。 が、友人達からは、お前のようにお世辞も言えず接待マージャンも出来ない要領の悪い奴は、 学者か役人しか生きる道がない➖と言われ続ける。
(職業につくまでの経緯は略)
心ならずも働く羽目になり、安月給まで保障されているのだからせめて、仕事では充分楽しもう。 働く以上、多少は人の役に立とうと考えて気分一新。
(略)
お前が親になったら、お前の家に冷やかしに遊びに行く。これが、俺のささやかな夢だ。 そしてお前の子供には、お前の子供時代の話をよーく...言って聞かせたい。 俺は、お前が選ぶ道にあれこれ口を挟む事はしない。 どんな道を歩こうと、どうか自分に誇りを持って行き抜いてほしい。
...父より』
思春期。私の身長は父を越した。
お互いの身の安全のため、母はそれぞれの個室に鍵を取り付けた。そして寝る前には必ず、家の中の包丁とハサミ、バットとトンカチなどを消した。物騒な物はた。
しかし、私は拳で壁に穴を開けた。 母は胃カメラの世話になった。
自主的家出は数回。 父に家から追い出されたことは、数知れない。 その度に母はバイクで、お巡りさんもパトカーで、深夜の街を探し回った。 父と私の間で、母はクタクタ、ボロボロ。
しばらくして父は私と、世間に謝る羽目に。
父は、息子を厳しく育てたつもりだと、大粒の涙をこぼす。泣き男の隣に坐り、母は貰い泣きしていた。
その頃、高校から宿題が出された。
【親のたどった進路】について調べる➖が宿題だった。 父からすぐに手紙がきた。
そのとき書いてもらった父の手紙が、私の大切な原点になっている。 父と母へ、
いつも ありがとうございます。
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