三食昼寝ブログ

脳梗塞の母/精神不安の嫁のリハビリを経験。それでも楽しく生きる三食昼寝ブログを書いていきます。仕事/人付き合い/絵を描く/食事/猫/三食昼寝ブログが大好きです。

不安をリハビリする【愉快な母の人生】⑦ドキドキ花火

母視点で書いてみました。

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失語症の友達】

リハビリを始めて4年目、私は各駅停車の電車に乗った。ホームの駅名を確認しながら、いくつかの駅を通過した。そして、失語症の友達と電車に乗ったときの出来事を思い出した。

彼女は、手にした電車の路線図を見つめていた。 「私ね...漢字を...パパって読めないの。小学3・4年生の漢字も...難しくて...すごく時間がかかるの。ホームの駅名をチラッと見ても...漢字がわからないから...慌ててしまう。電車の中で...こうして話していると...よけいに難しいの。電車の乗り換えがあると...緊張して...ここはどこ?って...慌てるの。」

私は彼女になってみた。 はたして、渋谷駅の膨大な掲示を読めるだろうか。 漢字には、フリガナがない。 外国人向けに、ローマ字の表示があるだけだ。 漢字が読めなければ、しるしがあっても動けない。

私は、南口を通り抜けて、34番のバス停でバスに乗る予定だ。 でも、降りた場所は南口ではなく正面口だった。 そのまま人の流れに逆らわないで正面口を通過し、なんなく南口に戻った。 ここまでの表示は、すべて漢字だった。彼女だったら、表示の前で途方にくれるだろう。

さて34番のバス停は?と、辺りを見回すとすぐに、見つかり一安心。念のため、バスに乗り込むときに行き先を確認した。 「次は○○○に止まります。」と、アナウンスが流れた。バス停を通過するたびに、次の停留所を確認できた。 彼女でも、耳を凝らせばアナウンスは聞けるか...。 駅・バス停・地図・看板、街中に文字情報が溢れていても、見知らぬ場所では迷子になるだろう。

私は重い足どりで家路へ。 最後の坂道にさしかかり、大きな掲示板が見えた。 『この先急坂 事故多発 一時停止』 危険を知らせているが、フリガナはない。

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【心臓病になった】

脳梗塞から5年後、2008年5月16日、私は救急車で広尾病院の集中治療室に搬送された。

『不安定狭心症』と診断され、次の日にカテーテル検査を受けた。だが、検査中に『心筋梗塞』が起こった。心臓を取り巻く1本の冠動脈がはがれ、出血多量になった。 すぐにステントを2本挿入し、血流を維持したので、一命は取り留めた。 もしも再び『心臓冠動脈かい離』が起きたら、命は7分しかもたないそうだ。 元々の『難治性の高血圧症』のほかに『不安定狭心症』と『低カリウム血症』が見つかったので、内分泌検査を受けることになった。1ヶ月間かけて、3種類の副腎の検査をした。

まず『原発性アルドステロン症』が疑われたので、副腎の腫瘍から血圧を上げるホルモンが出ていないか検査した。 だがホルモンは出ていなかった。 次に『褐色細胞腫』が疑われたが、この検査も空振りになった。 主治医は「副腎のホルモンについては、見つけたらモウケモノ、ぐらいの気持ちでいてください。ダメで元々なので、薬で対応しますから。」と、慰めてくれた。 でも、ついでだから可能性は低いくどと、『クッシング症候群』も調べてくれた。

糖質液を飲んで、30分後から2時間かけて4回採血、血糖値を測定。他にもステロイド内服薬を2日間飲んだ。 この検査では就寝前に4錠、次の日の就寝前に16錠を飲んだ。そして30分もすると全身汗だくで眠るどころではなくなり、夜中にナースステーションで氷枕を借りた。顔のほてりと足のむくみも酷くて、気持ちが悪かった。

翌朝の採血で、副腎から血圧を上げるホルモンの、コルチゾールが検出された。

さらに、副腎MIBG検査を行った。甲状腺を守るためのヨード剤を5日間飲み続け、真ん中の3日目に放射性物質を注射した。4日目と5日目に1時間半ずつレントゲン撮影をしたら、左副腎だけに光が集まり、左副腎の働きが過剰なのが分かった。

この検査結果を持って、内科医は私の病室に飛んできた。 「おめでとうございます!原因が分かりました。『プレ・クッシング症候群』です。腫瘍のある左副腎のみが働いていて、右副腎は完全休業状態です!」

開口一番、おめでとうございます、と言われて戸惑っていると説明が始まった。 「クッシング症候群は、副腎にできた腫瘍からコルチゾールというホルモンが多く出てしまいます。それで、血圧を上げてしまうのです。そればかりではなく、糖尿病と骨粗しょう症にもなりやすいです。このホルモンは、1ミリの10億分の1、という小さなもので常に現れるものではありません。たまたま検査中に現れて、大変幸運でした。5つの検査も全部がクロとなったので、やっと病名が付きました。今後は心臓の様子を見ながら、副腎腫瘍の手術をしましょう。東京女子医大の内分泌外科が、手術の症例も循環器系も充実しているので、推薦状を書きますよ。」

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【クッシング症候群】

狭心症のステント留置術から4日後・3ヶ月後・1年後の3回、心臓が安定しているか調べるために入院し、カテーテル検査を受けた。 3回とも、右の冠動脈は正常、左側はステント再狭窄なし、心室の動きも問題なし。 そこでやっと、循環器科から副腎腫瘍の摘出手術を許可された。

動揺している私に、内科医は言った。 「あなたの場合は、眠っていれば終わる手術です。お腹から内視鏡を入れるから、傷口も小さくて後が楽です。手術は、慣れている病院で受けるのが一番です。終われば、今飲んでいる降圧剤を減らすことができます。」

循環器科医も励ましてくれた。 「ステント部分も異常なしです。心臓の各部屋も異常なしです。自身を持って、手術を受けてきてください。」

だが、狭心症から一年で、私の体調はどんどん酷くなった。 難治性の高血圧症だから、最高量の薬を飲んでも効果なく、血圧は急上昇。 耳鳴りや両手足のシビレも酷くなった。 家事も普通にできず、食欲もなく、体はしなびてしまった。 外出しても、横断歩道を渡りきらないうち、赤信号に変わってしまう。 駅では、立って電車待ちをするのが、つらい。 私はすっかり、老化してしまった。

2009年1月に夫に付き添われ、東京女子医大の内分泌外科を受診した。 だが広尾病院と違って、私の心臓にはリスクがあるからと、内分泌外科の反応は慎重だった。麻酔科には、手術はできないと断言された。だから、話し合いはすぐに暗礁に乗り上げてしまった。

でも、入院する5月末まで10回ぐらい、夫は主治医と粘り強く話し合った。私は上手く話せないので、ただ黙って夫の隣に座っているだけだった。

話し合いは、今までの症状と、改善の可能性。 入院前検査、入院中の治療方針。 血液が固まりにくい薬を飲んでいるので、手術の方法とリスク。 手術後のホルモン調整と副作用など。 このような質問事項を整理して、医者と交渉するのは、私では全く役に立たない。

二人の話し合いは、はじめは距離があったがジリッジリッと縮まって、やがて手術が決定した。

私は、入院するといよいよ手術だ!と、ドキドキしっぱなしだった。 待合室で『ねこラーメン』のマンガを読んだり、『忍たま乱太郎』のアニメを何度も見て、気を紛らわせた。このアニメソングは『そうさ!100%勇気!もう、やりきるしかないさ!』と元気に歌うので、私の応援歌になった。

手術が成功すれば逆転ホームランだが、失敗しても眠っているうちにあの世へ行けるので、どちらに転んでもいいことにした。 6月3日に手術、そのあと1日は集中治療室にいたが6月13日に退院と、予想に反して経過は順調だった。

退院後は、休んでいる右副腎が働き始めるまで8ヶ月間、ステロイドを飲み続けた。副作用はきつかったが、手術から1年半が過ぎると、副腎の働きも脳下垂体からのホルモンも正常に戻った。

「今までは、日本刀の上を素足で歩いている感じだった。落ちても一巻の終わりだったけど、よく歩いてきたね。」と、夫はしきりに感心していた。

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