母視点で書いてみました。
【これからもリハビリ】
脳梗塞から10年目、私は無事に還暦を迎えた。 途中で大病もしたが、なんとか乗り越えた。 同時に、家の片づけやアルバムの整理などの身辺整理もした。 それは、「また冠動脈がはがれたら命は7分しかありません。」と、医者にクギをさされたからだ。
体調が一段落した今、近所の整形外科でリハビリをやり直している。
➖手と足のリハビリ➖
マヒ足をかばうので、どうしても健足に重心を置いてしまう。健足の小指側の3・4・5指に体重がかかり、筋肉が突っ張るので健足のアーチがなくなっている、と医者は指摘する。 そのため、足の甲にやんわりと包帯を巻きつける。これで、足の指先を支えている筋肉のこわばりも、ほぐす効果があるそうだ。
他にも、座ったまま足首を伸ばして持ち上げる足首体操をしている。骨密度は低下しているので、階段の上り下り・ラジオ体操・フラミンゴ体操も欠かさない。
手は、疲れすぎないように家事を工夫している。
➖言葉のリハビリ➖
何を話すか考えるだけで、首から肩にかけて力が入って肩や腕がだるくなるが、この症状が改善されてきている。 まわりの人からも、「まったく普通に話せている。」と驚かれる。 でも、複雑な話はできるだけ書いている。
➖服薬➖
降圧剤は減って、1錠だけ残った。 数ヶ月ごとに1錠→0.5錠→0.25錠→0.125錠と爪で割って、勝手にどんどん減量してみた。 そして、「人体実験みたいに、体の反応を確かめながら飲んでいます。薬を割るのも器用になりました。」と医者に伝えた。 すると医者は呆れながら「危険だよ!意味がないので、もう飲まなくてもいいです!!」と、やっと言ってくれた。 だから、副腎腫瘍の手術から3年で、降圧剤は中止になった。でも、薬を止めても8ヶ月くらいはハプニングが続いた。薬を止めた副作用で血圧が急に190に上がり、何回か救急車を呼んだ。
今までに常用した薬は、降圧剤・抗血小板薬・睡眠剤・カリウム薬・ステロイド・胃腸薬などだ。これらが一気に減って、今では抗血小板薬・胃腸薬の2種類だけになった。 これまでは、さまざまな薬の副作用に苦しんだので、夢のようだ。
最近、心臓の定期検査で検査技師から言われた。 「あなたは冠動脈かい離だから重症中の重症だけど、何が原因だったの?」 私「エッ⁈私、そんなに悪かったんですか?」 「エッ⁈医者の説明はなかったの?」
あったハズだが、私は覚えていない。目が点になった。 私が集中治療室にいたのは病室が満床だから、と思っていたが、まさか重症だったとは...。 今となっては、自分の症状が分からなくて救われた気がした。
また、身体障害者手帳を申請した。 一番つらかった言語障害は、あまりに改善したので手帳は取れないと言われた。 ちょっぴり残念な気もしたが、リハビリを続けた甲斐があった。 手足の障害は対象となった。
私の10年間は、医療関係者をはじめ多くの方に温かい言葉をいただき、一日一日をひっそりと暮らしてきた。 家族も、いつもと同じだった。 本当に感謝しても、しきれない。 私の体にも、伝えたい。 「60年も私に付き合ってくれて、ありがとう。これからは、もっと大事に使わせてもらうから、よろしく!」
【夫への感謝状】
息子たちが誕生すると、すぐに夫は貯金通帳と印鑑をプレゼントした。 彼らが実際にこれを使うのは、成人してからだ。
その夜、赤ん坊の寝顔を眺めながら 「この子がいつか就職するなんて...ウソみたいね。」と私は、大人になる息子なんて想像できない。 しかし夫は、「この子が大人になる頃には、俺の頭は真っ白になるだろうな。」と、早くも20年後の息子たちを思い描いていた。
幼児期の息子たちにとって、夫は高くそびえ立つ壁だった!
次男はテープレコーダーを大きな音で聞いていて、注意されても知らんプリ。とうとう夫に取り上げられた。
「お母さんはお父さんのこと好き?お父さんをどこかにあげちゃって、ゴリラをもらおうよ。だってお父さんは、ボクのテープレコーダーを取っちゃったんだよ。」
でも夫が留守だと「お父さんはどうしていないの?家に帰ってこないの?」と、ベソをかく。
「お母さん、悪いオジサンが来たら誰がボクを守ってくれるの?お母さんじゃ、悪いオジサンをやっつけられないし...」と、夫が入院中は不安顔の長男。
でも夫が退院すると「ボク、お父さんが帰ってきて嬉しいけど、コワイからイヤだなぁ」とぼやく。
つまり彼らにとって夫は、いると恐いし、いないと心細くなる存在らしい。
小学校に通うようになると、兄弟はスクラムを組んで夫に挑んだ。
➖弟の大ピンチを兄が救う➖
家の中には墨の匂いが漂っていた。どこかに墨汁がこぼれていないかと大騒ぎになった。家族で探したが分からない。不思議なこともあるもんだ。 だけど、弟の傍が一番匂う。クサイぞ。それまで黙っていた弟がひと言口をきいたトタン、匂いの正体がバレタ。あっ、飴だ! これは薬用の飴で、墨の匂いがした。
無断で舐めてはいけない、と夫に叱られ弟は庭に出され、夫はそれから外出した。
早速、兄は弟の救出作戦を開始。 まず、立たされている弟をすぐに家の中へ入れた。 それから、風邪気味の弟に昼寝を命令。 目覚めた弟にジャンバーを着せ、いつでも外に出せるよう準備万端。 その上、「いいか、お父さんが戻ってきたら、ずっと外に立ってたフリをしろ!」と、弟にチエをつけていた。 ホーッ、なるほど。 私は、この作戦にすっかり感心してしまった。
弟は文句一つ言わずに、兄に従っていた。 「ボクの方が落ち着かないよ。」と窓の外を伺い、夫の帰りを見張る兄。そして夫の姿を見るや、「早く外に出ろ。いいな。」と急いで弟の背を押した。
「ほう、今まで温かい所にいたような顔をしてるな。」 夫は笑いながら、外にいる弟を連れて部屋へ戻ってきた。作戦はイチオウ成功。 「お兄ちゃんはとても優しい。」 弟は嬉しそうだった。
➖兄弟仲良く同じ目に➖
自分で寝た布団は、自分でたたむ。 自分で使った食器は、食後に流しまで運ぶ。 使ったものは、自分で片付ける。
しかし、忘れたのならまだしも、兄弟はやろうとしない。注意されても、気づかぬフリ。 私はギブアップし、夫にバトンタッチした。
夫の注意は、じつにカンタン。
布団が上げられない?ナラ、布団は使うな!畳の上でネロ! 食器を流しに運べない?ナラ、食うな! と、マァこんな感じ。
夫恐さで兄弟は従う。でも自分からはナカナカやらない。 「これからは注意を一切しない!」と、夫は兄弟に宣告。更に「自分で気づかなかったらどうする?」と問うた。
兄「へそくりの5千円...払う。」 弟「テレビ一週間...見ない。」
兄弟は、とっさに答えた。大丈夫だろうか。 夫は、理由も聞かず約束を実行。 兄弟ナカヨク、同じ目にあう。 不思議なことに、彼らの文句や愚痴はナシ。
➖ありがとう➖
赤ん坊とはこんなに手のかかるものだった。 赤ん坊とは自分の思い通りにならない生き物だった。 私たちは、それに気づいた。 「息子が大きくなる頃は、俺の頭はスッカリ白髪になっているナ」と予想していた夫。 予想はハズレ。 思い通りにならないのは、息子だけではなかった。 夫の頭も同じこと。 今は見事に禿げ上がった。 でもそれは、子育てがブジ終わってやっと手にした、ピカピカの金メダルなのだ。 メダルと一緒に、感謝状を送りたい。
『本気で、息子たちと張り合ってきた、夫へ。 終わってみれば、スリル満点。 ユカイな子育てだったネ!ホントに。 貴方がいたから、私はノンキな母でいられたの。 (ハハ、ノンキだね〜、ナンテネ) ありがとー
妻より』