三食昼寝ブログ

脳梗塞の母/精神不安の嫁のリハビリを経験。それでも楽しく生きる三食昼寝ブログを書いていきます。仕事/人付き合い/絵を描く/食事/猫/三食昼寝ブログが大好きです。

不安をリハビリする【愉快な母の人生】③トイレには自動開閉と集中が必要

母視点で書いてみました。

【リハビリの基本】

退院してから2日たった。

朝から、どう話したらよいか….分からない。

症状はぶり返して、救急車を呼んだ。救急隊にうまく説明できなくなり、持っている入院証明書と退院許可書をみせると、再び都立病院に搬送された。

だが、頭のCTを検査しても特に異常は見つからない。

「検査では異常がなかったとしても、自覚症状はあったのですね。それでしたら、もう一度入院して少し様子を見ましょうよ。」

検査の結果よりも、患者の自覚症状を気にしてくれる医師がいる! すぐに再入院となり、脳のムクミを取るために点滴を3日間続けたあと、そのまま2カ月間のリハビリを受けた。

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➖言語療法➖

はじめに読み、書き、計算のテストを受ける。

マヒ手でゆっくりと名前、生年月日、住所を漢字で書く。

数枚の絵カードを見ながら、その名前を言う。

言語聴覚士の話す単語や短い文、少し長い文を復唱する。

最後に計算問題。足し算。引き算は100から7を引き続ける。掛け算は分数と小数だが、やり方を忘れていた。

言語療法は言語聴覚士との真剣勝負だった。 舌は上アゴにつき、ノドの奥の方に滑らせたいが思うように動かない。こんな状態で、発声の練習をする。

最難関はラ行だ。 「舌を下に降ろして、アゴは動かさないでください」とアドバイスを受けるが、舌の動きにつられてアゴも動いてしまう。

カ行はスピードが必要で一苦労する。 コやロの音は「唇をもう少し丸めて…アゴを突き出さないで止めてください。息漏れに気をつけて、そのまま…」と言われる。

一つ一つの発音を気にすると、舌とアゴの動きがバラバラになってしまう。だから、言語聴覚士の口の動きと、手鏡に映る自分の口を見比べながら悪戦苦闘だ。

ほかに「上、下、上、下…今度は右、左、右…次は舌を前に….後に引いて…」と、舌の突き出し運動をする。 左右の動きは難しい。舌を右側に動かそうとすると、バネ仕掛けみたいに左側に引き戻されてしまう。

この運動の最後は舌先で唇を一周、右回りと左回りでおしまい。

次は早口言葉で滑舌の練習だ。早口言葉は言いにくいし息苦しくなる。ハタと気づくと息まで止めている。

言語聴覚士に「そこは息だけで話すと楽ですよ」とか「ひと言ひと言に力を入れないで、いい加減にしゃべってみてください」とアドバイスされるが、お手上げだ。

不安になるのは、最後に「明日の言語療法の時間は○時○分になります。いいですか?」と尋ねられるとき。 ハイと応えるが、療法室を出るころには約束の時間がアヤフヤになる。 仕方ないから、テキストの端に書いてもらった。

こうして2カ月が過ぎ、退院の日が近づいた。 「私の声…前より…低くなった…みたい…」と、ようやく変化に気づいた。

だから言語聴覚士は「病前と比べて何か変わったところはないですか?」「他にも難しいと感じることはありますか?」と、毎日尋ねていたのか。今まで、なぜこのような質問をされるのか分かっていなかった。

私がうつむいてしまうと、言語聴覚士が声をかけた。 「考えても仕方がないですから、一緒に腹式呼吸でもしましょう。鼻から息をたくさん吸ってください。息を止めたら、できるだけ長く吐いてください。」

話す姿勢も大事になる。 「肩は動かさずに、背中をピンと伸ばして上半身を楽にしてください。」この姿勢で大きな声を出そうとしても小さな声しか出なかった。

作業療法

間違わないように、名前と住所を漢字で書く。それから、パズルや立方体キューブを使って見本を真似る。難易度を上げても難なく突破。 最後のテストは○△□の組合せの図を覚えて、見ないで同じ図を描いてみる。 が、今見たばかりなのに全く思い出せない。

作業療法士からは「年相応です」と慰められた。

作業療法は、とてもリラックスできた。 「痛くならない程度にマヒした指を動かしましょう。これで指の関節や筋肉の衰えを防げます。1日1回でも大丈夫です。」 と、宝物でも扱うように私の指を曲げたり伸ばしたりするからだ。

終わると次の課題に移る。

右手に余分な力が入ってしまうので、手の力を抜くことを覚えなければならなかった。しかし、どう説明されてもその微妙な感覚が分からない。右手でテーブルをからぶきしてみる。何度しても、手に力を入れるから上手くいかない。

ほかにはメガネケースや財布を作ったり、ペグ操作もする。ときどきペグを動かす手を止めて、庭の景色に目をやる。風に身を任せながら、桜が舞っている。私も、何も考えないでただ自然に包まれていたい…。

イスに座って作業療法を受けるとき、自分の姿勢や足の位置まで気が回らない、というより全く意識できない。 作業療法士からは「ちゃんと腰掛けて踵を床につけましょう。右足が浮いていますよ…」と、しばしば注意された。

普段ならありえないことだが、凍りついたこともある。洋式トイレで急いで排尿してみると、外蓋の上だったり。蓋の開閉に気づかないで、スッポリ便器の中に沈んだり。

これ全部私がしたの?あわて者だから?勘違い?…とビビったが繰り返すうちに、何かに気を取られると他のことまで頭が回らないことに気づいた。

理学療法

スタスタ歩いて理学療法室に入るので、まわりの患者は不思議に思うらしい。

でも私は「なんか…私の右足が…長くなったような…違うような…」と、いつもシドロモドロになる。どうしてなのか分からないけど、右足に違和感があるのは確かだ。上手く説明できないでいるとき、リハビリ医は理学療法もすすめてくれた。

理学療法士からは「疲れたら無理しないで休んでください」と言われるが、私は『ムリしなくて、いつするのよ〜。ムリじゃなくムチャしたら言ってよ〜』とヤケクソな気持ちだった。

そして、ストレッチ体操と自転車エルゴスメーターこぎを繰り返した。

【リハビリ仲間】

私がリハビリ科に転院した頃。

新聞には『植村直己冒険賞』を受賞した登山家夫妻が、登頂を果たし生還するまでを語っていた。

二人とも重度の凍傷を負ったのだ。夫は両手指の4本半と右足指ゼンブ。妻も、すでに第一関節がない両手指ゼンブを更に一関節分も失ってしまった。

でも再び登頂を目指すという。

「もう、おむすびは握れないかな」と妻。

「リスクは覚悟のうえ。『よく帰ってきたね』と植村さんからご褒美もいただけたし。いい登山だった。」と夫。二人とも、どんな状況でも弱音を吐かない。

私は早速、この記事を音読用のテキストにした。言いにくい箇所に赤ペンを入れたら、記事は真っ赤になった。

通院でリハビリを終えた頃。

失語症者、言語聴覚士になる』という、本の紹介を見た。

エッ、失語症者でも言語聴覚士になれたの?と思いながら、本をめくってみる。

著者は大学生のときに交通事故で左脳を損傷して失語症になった。殻に籠りがちだったが、新しい生活を模索し続けて失語症と付き合いながら言語聴覚士になったのだ。

私は、よくぞ戦い抜いたと感激した。

ほかにも仲間の存在をいたるところで感じる。

リハビリ科の診察室は、患者の作品がズラリと並んでいる。

紙面いっぱいに太く元気な字。利き手のマヒで反対の手に筆を握ったのだろう、タッチが弱い字。絵手紙の鮮やかな色は、順調に回復している証かしら。

『ねこ新聞』なるものも、診察室の壁に登場した。

これはきっと、忙しすぎるリハビリ医を心配した患者からのプレゼントだろう。