三食昼寝ブログ

脳梗塞の母/精神不安の嫁のリハビリを経験。それでも楽しく生きる三食昼寝ブログを書いていきます。仕事/人付き合い/絵を描く/食事/猫/三食昼寝ブログが大好きです。

私は高橋一生が嫌いだが、高橋一生の人付き合いの上手さは見習う②

高橋一生を嫌いな理由】

私が高橋一生を嫌いな理由を考えました。

たぶん些細なこと。

ハッキリとした理由がありません。

私と高橋一生は青山中学校の同級生でした。

高橋一生は三年生の一学期に転校していきました。

私はイジメられグループと仲がよく、高橋一生はイジメっ子グループともイジメられグループとも仲よく上手に付き合っていました。

イジメっ子グループの中心人物の隣によくいるのが高橋一生でした。その頃の高橋一生は芸能養成所に通うため、よく中学校を早退していました。

私と高橋一生が初めて会ったのは保育園時代。

私の親友の住む集合住宅3階の2部屋隣に、高橋一生は住んでいました。

私は親友の部屋へよく遊びに行きました。親友と高橋一生は仲が良く、私も高橋一生の部屋でゲームをして遊びました。高橋一生の部屋の鍵はいつも開いていて、山の様にテレビゲームが置いてありました。

集合住宅や高橋これきよ公園で、鬼ごっこや隠れんぼや缶けりを集合住宅の子供たちとよく遊びました。親友と高橋一生の隠れる場所は決まって高橋一生の部屋でした。

保育園時代の親友が高橋一生と仲よくするのが嫌だったのか。中学時代のイジメられグループメンバーが高橋一生と仲よくするのが嫌だったのか。いまでも分かりません。

ジブリの『耳をすませば』で声優をしたり、深夜番組の『悪魔くん』の主人公だったり、『スウィングガールズ』で抜群の存在感をだしていたり。いつも高橋一生を意識していました。

ちなみに、私が思う高橋一生のブレイクのキッカケはヒルナンデスです。。「今年ブレイクした芸能人トップ10」を予想していくとき、久本雅美さんが「高橋一生」と叫んだことをよく覚えています。

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私は赤坂小学校で一年生から三年生まで過ごしました。

赤坂小学校は子供が少なく、私の学年は女子2人男子7人の合計9人でした。私が三年生の時の全校生徒は68人でした。

クラスメートの4人が赤坂御所の中にある警察官家族住宅に住んでいたため、主な遊び場は赤坂御所の中でした。

クラスの人数が少ないため、文化祭の役回りは一人で7役もありました。劇『スイミー』は、もはや早着替え大会と化していました。

小学校三年生の春、赤坂小学校と檜町小学校の統廃合の話がでました。合併すると学区がかわるため、青山小学校へ六年生で転校することになります。

私の両親は私が少しでも青山小学校で馴染めるよう考えました。

知り合いを訪ねて回り青山小学校の学区内へ引越したという形をとらせてもらいました。

両親のおかげで、私は四年生から青山小学校へ転校しました。

「青山小学校→青山中学校→青山学院大学付属高校→青山学院大学へと進むのが成功への道だ」と小学校教師たちは揃って生徒に言いました。

しかし、青山中学校は数年前まで荒れに荒れていたと親の間では噂がありました。校庭にバイクの集団がきた、 窓ガラスが割られた、警察がまたきた…。

そのため私は私立中学校へ入るため塾通いをしましたが大病を患い、体育の授業は全て見学、私立受験も出来なくなりました。

青山中学校に入学して再開したのが高橋一生でした。

顔は少し変わっていましたが高橋一生と言う名前は珍しく、すぐに同一人物だとわかりました。

青山中学校は生徒の貧富の差が激しく、イジメられグループは一般家庭、イジメっ子グループは金持ちと分かれていました。 高橋一生の隣にいつもいたイジメっ子グループリーダーの親は画廊で、リーダーの家に遊びに行くと一人1万円の小遣いがもらえました。私の月の小遣いは3000円 でした。

私には親友が少なく、その少ない親友の一人がイジメられグループにいました。電車のスタンプラリーに一緒にいく仲でした。彼は電車好きが高じて駅名に強く、漢字が得意で達人級でした。

彼は大の時代劇ファンで、イジメられるたびに「申し訳ござらん。切腹いたす。」と言うため、面白がられて度々イジメられました。

高橋一生はよく彼のところにきて、「なにかあったら俺に言いな。助けるから。」と言っていました。

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私の中学校時代の小遣いは月3000円で小学校時代の小遣いに比べれば三倍ももらえましたが、私には少なく感じました。 小遣いは主にジュース代として使い、クラスメートからのカラオケや飲食の誘いは断りました。

私はイジメっ子グループリーダーとも仲良くしている高橋一生のことを意識していました。私もカラオケや飲食の誘いぐらい参加できれば仲良くなれ、発言力がつくのではないか。

私はお祭りで小遣いを稼ぐ方法を考えました。

①地域の祭り情報を集める。 ②祭り当日の型抜き屋へ行き、型抜きを一枚100円 で何枚か買う。 ③その型抜きを持って地下鉄に乗り、西日暮里駅にある駄菓子専門問屋街へ行く。 ④同じ型抜きを箱買い、帰宅後、画びょうの先をライターで熱し型抜きを溶かしながら抜く。 ⑦型抜き屋に持っていき換金する。

祭りの数によっては月に3万円以上の利益になりましたが、これって詐欺ですね。

この小遣いでゲームセンターに行き、 イジメっ子リーダーに教わったのはゲームセンターの裏技でした。

今もある渋谷一丁目のセガのゲームセンターにはメダルゲームコーナーがあり、サイコロの振られた出目を当てるゲーム機がありました。1000円で50枚のメダルを借りて遊び、11の出目を連続で二回出すとジャックポットになりボーナスの1000枚 近いメダルが貰えました。

裏技はジャックポット後、次のゲームが始まるまでにコインを賭けてキャンセル、賭けてキャンセルする度にコイン残高が50枚ずつバグで増えるというものでした。

そして増えたコインを元に

1000円で50枚のメダルを借りようとしている客に、「1000円100枚で譲りますよ」と声をかけていくというものでした。私の小遣いは月に10万円以上になりました。

イジメっ子グループに入れば裏カジノにも連れて行ってもらえると言われましたが、一年間ほどで私は店員に捕まりました。

メダルは店で貸出しているのであって、売っているわけではないから違法だと叱られました。

当時でさえ犯罪が近くにありました。今の複雑化した世の中では、被害者にも加害者にもなるのは身近なことでしょう。皆さまに幸あらんことを願います。

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高橋一生のここは凄い】

小学校時代から、自分の将来を見据えて行動している高橋一生は凄いと思う。

将来の夢って大事ですね。

他の有名人は小学校時代どうだったのでしょう。

有名人の小学校時代の【将来の夢】をまとめてみました。

セリエA ACミラン本田選手

小学校時代の卒業文集より

『将来の夢』 本田 圭佑

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたい、というよりなる。

世界一になるには世界一練習をしないとダメだ。だから、今、ぼくはガンバっている。今はヘタだけれどガンバって必ず世界一になる。

そして、世界一になったら、お金持ちになって親孝行する。

カップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します。一年間の給料は40億はほしいです。プーマと、けいやくして、スパイクやジャンパーを作り、世界中の人が、このぼくの作ったスパイクやジャンパーを買っていってくれることを夢みている。

一方、世界中のみんなが注目し世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。

セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし、10番をもらってチームの看板です。ブラジルと決勝戦をし、2対1でブラジルを破りたいです。この得点も兄と力を合わせ世界の強ごうをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

“ シアトルマリナーズイチロー選手

小学校時代の卒業文集より

「僕の夢」 6年3組 鈴木一郎

僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです。 そのためには、中学や高校で全国大会に出て活躍しなければいけません。活躍をするには、練習が必要です。

僕は3歳の時から練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやってましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は厳しい練習をやっています。だから、一週間中友達と遊べるのは五、六時間の間です。

こんなに練習をしているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。そして、中学高校で活躍して、高校を卒業してからプロ野球に入団するつもりです。そして、その球団は中日ドラゴンズ西武ライオンズが夢です。

ドラフト入団で契約金は1億以上が目標です。

僕が自信があるのは、投手と打撃だけです。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。

そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン投手と確信できるほどです。打撃では県大会4試合のうちにホームランを3本打ちました。そして全体を通じた打率は、5割8分3厘でした。このように自分でも納得いく成績でした。

そして僕たちは一年間負け知らずで野球ができました。

だから、この調子でこれからも頑張ります。そして僕が一流の選手になって、試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って、応援してもらうのが夢の一つです。

とにかく、一番の夢はプロ野球の選手になることです。 ”

“ プロゴルファー 石川遼選手

小学校時代の卒業文集より

将来の自分 石川遼

二年後……中学二年生、日本アマチュア選手権出場。

三年後……中学三年生、日本アマチュア選手権(日本アマ)ベスト8。

四年後……高校一年生、日本アマ優勝、プロのトーナメントでも勝つ。

六年後……高校三年生、日本で一番大きいトーナメント、日本オープン優勝。

8年後……二十歳、アメリカに行って世界一大きいトーナメント、マスターズ優勝。

これを目標にしてがんばります。最後のマスターズ優勝は僕の夢です。それも二回勝ちたいです。みんな(ライバル)の夢もぼくと同じだと思います。でもぼくは二回勝ちたいので、みんなの倍の練習が必要です。

みんなが一生懸命練習をしているなら、ぼくはその二倍一生懸命練習をやらないとだめです。ぼくはプロゴルファーになって全くの無名だったら、「もっとあのときにこうしていれば……」 とか後悔しないようにゴルフをやっていこうと思います。

来年には埼玉の東京GCで行われる「埼玉県ジュニア(中学生の部)」で優勝したいです。

今は優勝とかは関係ありません。中学生になってからそういうことにこだわろうと思います。高校生で試合で優勝すると、外国に招待してくれます。その試合で世界から注目される選手になりたいです。

ぼくは勝てない試合には今は出ません。

ぼくの招待の夢はプロゴルファーの世界一だけど、世界一強くて、世界一好かれる選手になりたいです。

お風呂で四歳の娘に言われました。

娘「わたし、ゴウくん(綾野剛)と結婚する。」

私「エ!?ゲンちゃん(星野源)は?」

娘「ゴウくん(綾野剛)はカッコイイから結婚するの。ゲンちゃん(星野源)はカワイイの。」

私「ちなみに高橋一生は?」

娘「高橋一生は分かんない。」

四歳の娘には高橋一生の魅力は伝わっていませんでした。

読んでいただき『ありがとうございます』。